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ディーゼル機関車の運転



腕時計を見ると、もう時間。 ガイドにその事を告げると 「残念だなア。まだ半分位なんだ。この後に屋外の見学もあるし」 
車庫、給水、給炭設備等を含め、ゆっくり見て回ると3時間位かかるとの事。
保存されている車両にはそれ程興味はなかったので後悔はしない。
見回すと、オレンジ色できれいに塗られた旧式のディーゼル機がゴトゴトと微速で走行中、これがこれから運転する機関車だと判った。

プラットフォームには客を乗せた列車が待機中、しかし、今回は入構時の動きで無蓋車が蒸機の次位になっている。
即ちバックで駅に入って機関車を外し、庫で整備した後、ターン・テーブルか三角線で回し、修理工場側から列車に連結。
1回おきに長物車が機関車の後に連結される事になる。 この出発を見送り、売店に戻ると
「待ってたワ、時間がないからテスト直ぐ始めるワヨ」
「持ち物は?」 と、Q&Aの紙を指すと、
「持って入って良いから」 と売店の倍程の大きさの会議室か待合室の様な隣部屋に通された。
「何処にでも座って。ドアを閉めて一人にするわネ。時間は出来る迄だけど出発時間が近いから」と出て行ってしまう。
こちらも意地があるのでQ&Aは仕舞い、記憶に残っているのから回答をしていく。
全部で20問近くだろうか。ブレーキ弁等の英語の名称でどうしても覚えられなかったのがあり、2つ程空欄。
蒸機の場合の問題とは機器の質問が違うとの事。
「出来た」と持っていくと早速採点。
「連邦政府の規則だから、これをFRA (Federal RailroadAdministration)に提出するの」
「もし全問間違えたら?」
「それに近い人が居たけれども乗せるわよ。そういう勉強をしたという事が大事で、その記録が残るのだから」
「私の点は?」 点数は教えてくれなかったが、
「すごく良いわよ。問題無し」 との事。何か書類に書き込んでいた。
「運転生徒は?」 もう呼び出しの時間。
そのヴォランティアの後につき外に出ると、1、2本向こうの線路に機関車が停泊しており、これはアルコのRS-2機関車、105番。

この他にRS-3の109番、EMD製SD-9の204番が機関士生徒レンタル・プログラムに使用されている。
静態機としてはボールドウインのVO1000、ボールドウイン・リマ・ハミルトン(3社合併による)のS-12、
GEの25 トン を含め6両が保存されているが、何両かは将来自力走行できるようにオーヴァーホールされるようだ。

RS-2機関車の説明をすると、
アルコ(American Locomotive Company)のニュー・ヨーク州スケネクタディ工場で、1946年から1950年の間に383両製造された。
ディーゼル機の創成期はGMのEMD(エレクトロ・モーティヴ・ディヴィジョン)、その後、ビッグ・ボーイ等を製造したアルコ、
近代式蒸気機関車の開発競争に火をつけたリマ、古参のボールドウイン等がディーゼル機市場に参加したが、
この中で主要機器を含め一貫製造をしていたGMだけがディーゼル機の専門会社。

GM以外のメーカーは主要電気機器を既に電気機関車の製作で実績を持っていたGE、又は Westinghouse社から購入しており、
まだ最新式蒸機製造との二股をかけていた状態で、ディーゼル機の製造ではかなり差をつけられていた。
第二次世界大戦中のアメリカ戦時政策に、蒸気機関車生産はアルコを含む既存メーカーで、
ディーゼル機関車は当初から内燃機関車輌専門で、主要機器も自社製造していたGMを優先、というのがあった。

解禁後ディーゼル機関車製造両数 No.2 となったアルコではあったが、出遅れは否めず、RS−2の一機種 383両という数はアルコとしては多い方。
しかし、マーケット全体的に見ると少数派。 蒸気機関車製造実績1位のアルコは、ディーゼル機関車製造に意欲があったGEと組み、
ディーゼル機関車は Alco/GEの名の下で販売された。
支線、操車場の蒸気機関車追放機として市場に出されたが、正式な形式名は Road Switcher。
運行しながら引込み線の入換えをしていく事から来ている名称。
保守費が嵩むターボチャージャー付 244形 4工程エンジン式一台を搭載。
自動車式に書けば、直径 22.84cm 行程 26.67cm のシリンダーを6基2列のV字型に組み12気筒。 排気量は11リッター。
出力は回転数 1,000RPMで 1500馬力。  直結されたGE製の発電機を介し、各台車に2基に装着されたGE製直流電動機から車軸に
74:18のギア比で走行するB-Bタイプの電気式ディーゼル機関車。   指示牽引力 26,047.5kg   最高速度 104km/h。
車体長は約 1670cm、車体幅 約 300cm、  車体高 約 440cm、 機関車重量は 120tで軸重は何と 30t。

1958年に製造開始された電気式ディーゼル機関車 DF50 500番代、その後の DD51と比較すると、
DF50  1640cm    86t    1200馬力エンジン1台  電気式     軸重 14t
DD51 1720cm 280cm 395cm    1000馬力エンジン2台  液圧式変速機  軸重 14t
因みにDD51はD51蒸機の置換え用として設計されたが、日本最大のD52でも指示牽引力は私の計算に依ると18,420kg。


運転

機関士と助士(これもファイアー・マン)を紹介された。
後で知ったのだが、この助士は17歳のまだ高校生で夏休暇でのトレーニング中との事。勿論ヴォランティアで、蒸機の運転をしたい、と語ってくれた。
機関士は遠慮する私の妻を助士席に座らせ(狭い場所に立っていれば遠慮されても向こうが困る)私も運転席に座らせた。
カウンターで渡された二枚の紙を一見すると、

「これはトレイン・オーダーで、その裏がトラック・ワラント(線路占有許可書)、もう一枚はトラック・ブレティン・フォーム(軌道状況を知らせる)だよ。
この通りに運転をしていく。 これに依ると指令番号 32、列車番号 XRD023,機関車105。 
1時に発車で H7地点迄走行し、戻る。ワラントにはイースト・イーライから H7迄行き、イースト・イーライに戻る。
1時00分から有効で4時29分に失効する、とある。ブレティンには H2.5から H3.0迄徐行、距離は書いてないが線路横にマークがある。
この間、速度を 10マイル(16km/h)以下にしなければならない。その場所が近くなったら言うよ。
許される最高速度は18マイル(28.8km/h)だからね。この書類は降りる時に記念にあげる」

トレイン・オーダーの下部には、枠に囲まれ日付と朝9時半から夜7時迄の機関車の動きが、その下には日付、発行時間とディスパッチャーのサイン。
ワラントの下部にも発行時間とサイン、その下に戻って来た時間と機関士がサインする個所がある。

 

「説明するから見てなさい。 これがスロットル。 レヴァーを手前に回すと回転数が上がる。
8段あるが、この運行の場合1段目か2段目でOKだ。 3段から上は使わない。 定速だから勾配では気をつけるように。
1段目に入れるのにコツがいるが、やればわかる。
これが前進後進の切替レヴァー、こちらにもう一つレヴァーがあるが、今回は関係ないから説明はしない」 
「シャントですか?」 と、聞くと
「そんなもんだ」
4台の電動機の直列並列の切替の事だが、18マイルでは必要が無い、と言う事は直列のままでの走行でせいぜい2ノッチ迄、
そんなにはややこしくはない。

「これがブレーキ、二つある方の大きなのが列車用で、今回は必要ない。
上が機関車用のレヴァーで、弛め、保ち、ブレーキ(込め)の位置があるが、
印は無いからその上にあるブレーキの圧力計を見ながら、ブレーキ状態を確認。締めているとドンドン速度が落ちて停まってしまうからね。
少しづつ針と速度を感じながらかけたり緩めたりする」 
「止まるのが一番難しいというのは聞いてます」 
「そうか、やってみたら。 今から駅の限界迄動かすので見ているように」

席を代わると、座席の前にある小さなレヴァーを回し、靴べら状のハンドルを軽く押し下げると「カーン、カーン」と鐘がなり始め、
「ボワーン」と大型トラックの様な汽笛の音も。
レヴァーが鐘で、ハンドルは汽笛用。
「鐘は構内では必ず鳴らす。踏み切り通過でもだ」
前進後進レヴァーを前進に入れ、ブレーキを”弛め”位置にし、スロットル・レヴァーを手前に曳く。
ゴンゴンゴンと大きなエンジン音に変わりゆっくりと動き出した。
     左写真は拡大できます
すぐにノッチ・オフ。                                                 
「うるさいしね」                                                   
7,80mも走り、最後のスイッチ前で停止。                                   
助士君が降りてスイッチを切換え、ノッチを進めスイッチを通り過ぎてから一旦停止、助士君を拾う。   


「あそこに見える踏切は車が多いから、それを過ぎてから交代だ」
確かにトラックが遮断機の手前で待っている。
踏切を過ぎて停止すると 「さあ、交代しよう」
運転を教えるにしては余りにも呆気ない。 こんなので良いのかな、と思いつつ席を代わった。

窓を背にして車内向きに座る。 私にはDD13でお馴染みの配置だが、頭と体を進行方向に向けなければならない。
椅子は古いだけでなく大変に座り難く、直ぐにお尻と背中が痛くなりそうだ。

行きは短いフード ( この場合は、機器室を意味する )を先にしての運行。
ディーゼル機が開発され、この 凸タイプの車体が出た当初から、長フード前位が標準。
蒸機もボイラーが運転室の前にあり、正面窓からの見通しは悪くとも事故の際乗務員の保護になる、という理屈。
オプションで短フード前位も出来たのだが、殆どの鉄道会社がかなり長期間、長フードを先にして運転するという事で発注し、
操作機器もそれに準じて配置されていた。
これも長フード前位標準機で、スロットル・レヴァーは進行方向の反対側。

運転士はブレーキ弁台の後、首を曲げれば前方が見える場所に立った。
もう一度操作機器の確認。
「これが前後進レヴァー、これがスロットル、これが汽笛と鐘のレヴァー、ブレーキ弁に、あれが速度計」
「OKだ。何時出発してもいいよ」
前方を見ると短フードの廻りを歩く為の通路ドアは天候が良いので外側に開け放されているのだが、フードの為に 2,30m程先迄、
右側の視界がブロックされている。
運転席窓から首を出し、もっと視界が広がるようにしながら、
「レヴァー前進位置、ブレーキ弛め、スロットル、スタート」

誰に言うでもなく声を出し、警笛を鳴らし後方に伸ばした腕でノッチを1段進め様とするのだが、引っかかる感じで動かない。
体を制御台斜め前の方向にひねり、レヴァーが回転運動する溝を注視しながら3,4回試している内に、
機関士が何となくレヴァーを上下させながら回していたのを思い出し、やっとの事で1ノッチに入れる。
「ゴンゴンゴン」 エンジン音が大きくなり、いとも簡単に動き始めた。
2、3分そのままの状態で走行、平坦地でスピードは一定。 もう顔は窓から引っ込めていたが、右カーヴになると前方の状態が判らない。
「もっとスピード出して良いんだよ」 その通り。
左右は何となく低い山と言うか丘が連なっているが、前方は見渡す限りタンブル・ウイード(潅木)が生えた半砂漠地帯が続いており、線路がその先に延びている。
速度は10マイル弱、この調子では目的地に何時着くのか。(目的地はH7というだけで何処か判らない。建物らしき物は遥か遠くにも見えず、
片道約1時間という事はかなりの距離、時間切れも格好悪いし)

ノッチを1段進める。 ターボの為に一瞬遅れてからエンジンの音が大きくなり、グオーングオーンと凄まじい音。 速度計の針が上がって行く。
最初なので15マイル辺りでレヴァーを戻すと、ポンと一瞬エンジン音が切れる様な感じになり、次の瞬間 1ノッチの静かな音に変わった。
これを繰り返す事暫く。
「もう直ぐ踏切だが・・・」
左側には道と言えば道と言えるものが近寄って来ており、前方を注視すると確かに踏み切りらしきものが見えてきた。
「エエート、汽笛は何回だったかな・・・」
取り敢えず「ボワーン・ボアーン・ボワーン・ポ・ボワーン」 と鳴らしたが、その最中に踏切を通り過ぎてしまった。
何の為の警笛なのか。
「鐘を鳴らすの忘れました」
「そんなに大事な事ではないが、この時の警笛は2回、1回、1回だよ。又、踏切あるからね」

確かに見渡す限り車らしき物は見えないので鐘は鳴らしても意味は無いのだが、それを言ってしまえば警笛も必要では無い、という事になってしまう。
次回はと、通り過ぎた踏切を見る為に後を振返るとイースト・イーライの街がかなり遠く少し下の方に見えており、登って来ているのが判る。
勾配は最高でたったの 7パーミル。 半砂漠と言うと表面は平らだと思われるかもしれないが、所々になだらかに凹凸があり、
築堤や緩い曲線で逃げている。
「帰りは下りだからブレーキ操作が必要だよ」

最初の内は速度計、スロットル・レヴァー、前方と視点を変えながらで余裕も無く、必死だったが、
慣れて来ると前方を見ながらノッチを1段と2段の間で上下させ、速度計の針が15から18 弱の間を振れる様になった。
こうなると、もう単調な運転、前方注視しかないのだが、前方を遮る物も無いし、事故の起き様もない。
又踏切、今回は鐘レヴァーを入れ警笛も「ボアーン・ボワーン・ポッ・ボワーン」で OK。
タイミングもOKだったが、暫く鐘を鳴らしたまま。 機関士も細かい事では何も言わない。

       速度計を睨んで

お尻が痛くなって来た。 緊張感の持続は難しく飽きが来る、なぞと思っていたら速度計の針は 18 を越え 20くに。
運転士も速度計を見ている。 勾配が緩くなったのだ。
あわててノッチをアイドルに戻し、左手でブレーキを少々、と思いきやかからない。
ブレーキ圧力計の針も動かない。 かなり右に回すと針がスーッと右に動き出し、ブレーキがかかり始めた。
自動車での下り坂のつもりでそのままにしていると、速度がドンドン落ちていき、勝手が違う事を思い知らされた。
”弛め”迄戻し速度計を見ると10マイル程。 慌てて 1ノッチ上げる。

暫く走ると突然待避線が見えてきた。 昔は使っていたのだろうが、速度を落として通過するだけ。

 左写真は拡大できます
H7迄にはもう一個所待避線があり、銅鉱が稼動していた頃はかなりの通行量があったのだと偲ばされる。これがコブレ迄の本線だったのだ。

路盤、線路の状態も悪くはなく、枕木も古い物が多いようだが、雨も余り降らない地域だけに十分使える状態。
レールも波を打ったり枕木に沈んでいたりする様子も無く、昔の日本の支線より余程手入れされている。
(それとも手入れをそんなにしなくて良い?)

今回、ニュー・ヨークからコロラド迄アムトラックに乗り、地盤が固く路盤もしっかり造成できるアメリカの地質をまのあたりに感じた。
トンネルでもコンクリートを捲かずに岩盤を刳り貫いただけのもかなり見たし。

40分も運転していると、運転自体が苦痛になって来る。
「もう十分にしたから戻ってもいいかなア」 機関士は苦笑。
勾配もコンスタントになり殆ど2ノッチに入れっぱなし。

続行しているとゴツゴツした岩の固まりが見えてきて、切り通しになっている。迂回せずにダイナマイトでも使って突き進んだ、という感じだ。
「あそこは岩が弱くて振動で崩れる事がある。手前にH2.5の指標が線路脇に立っているから、そこからH3.0の指標迄、制限速度10マイル」
ノッチを戻し、ブレーキを軽く“込め”に入れる。
登り勾配の為、速度計の針は直ぐに下がり、“弛め”に戻し、ほぼ10マイルの速度で入る事が出来た。
砕けた岩の破片が路盤迄来ている。
感覚としては 2,30mの切り通しを通り過ぎ、指標を確認してノッチを上げ、速度18マイルに戻す。

暫く走ると「もう直ぐH7。そこで終り」
やがて右側で良く見えないが白くペンキを塗られた高めの勾配指標の様な物が一瞬目に入った。
水平の横木には確かにH7とある。
「あの少し先の左側にもう一つ指標があるからそこに前を合わせて停止できるか?」
ここぞ、と思われた所でブレーキ弁を“込め”に回したのだが、圧力計針の動きが遅く、一寸の間待っているとグググーッと効き出し、
“弛め”に戻したが、ゆっくりと停止してしまった。 指標はまだ20m程先。
「もう一回やってみるかい?」
意地で 「やります」 
ノッチを進め、今回は1m程手前で止まる事が出来た。 ブレーキは矢張り難しい。
「これで戻るんだが、どうするか憶えているね」
「前後進レヴァー」
「はい、出発」

レヴァーを反対側に回し、ブレーキ・レヴァーを戻し、スロットル・レヴァーを1ノッチ進めようとするが、又ひっかかる。嫌なクセがあるものだ。
今度は右腕が前に出るので姿勢は楽だが見通しは悪い。
勿論ディーゼルの長フードは蒸機機関車のボイラー程背が高くなく、上方の見えはマシ。
先程の徐行個所のかなり手前で、妻の為に席を失って立ち通しの助士君がドアの外に出て行く。
後程写真でチェックしたところ、2m程先のデッキ上で進行方向の確認をしている姿が写っていた。

復路は緩い下りの続きが多く、ノッチを頻繁に1段、2段の間を上下させブレーキも多用していたが、
ノッチを下げた瞬間ポンと一瞬エンジン音が切れ、ディーゼルとしては酷い黒煙が煙突からモウモウと静止給炭の蒸機並みに。
今迄は短フード前位で走行していたので気が付かず、これか有名なアルコの煙だな、と納得ができた。

  左写真は拡大できます
ターボ付きの場合、スロットルを上下させた直後に吸気が遅れ、空気の混合率が低くなり不完全燃焼した際の黒煙が出る。
古い自動車で急にアクセルを踏んだり離したりするとガソリン臭くなるのと同じ。
アルコの場合エンジンが改良されても大して良くならなかった。
兎に角運転している自分が恥ずかしくなる程の煙。 ノッチ下げの時が酷いので、成るべくスロットル・レヴァーを動かさずに転がす感じで戻った。

帰りは踏切での操作も問題無し。 気分も結構良くなり、機関士気分。 駅に入る最初のポイントが見えて来ると、
「あのポイントの手前に限界表示がある。その手前で停車する」
最後の黒煙を出し、かなり良い位置で停止が出来た。

機関士は懐中時計を出して時刻を記入 「ところで後退を始めているよ」
気が付くとゆっくりとバックを始めていた。瞬間何が起きているのか判らなかったが、ブレーキ弁は“弛め”のまま。
あわてて”込め”位置から”保ち”に。
「停止する時には停止位置に入れて置かないと。 まあ全体的に悪くは無い」
最後のお小言だったが、滅茶苦茶な運転をする人もいるとの事。
運転席を代わり、機関士が構内迄転がして、駅前で下車。

  左写真は拡大できます
駅を出発してから戻る迄、正味2時間。 プラットフォームには機関車が外された列車が停泊していたが、無蓋車は朝と同じ側になっていた。
売店に戻ると、私がディーゼル機関車をイースト・エリー、アドヴァース間で往復運転をしたという本日の日付入り証書が待っていた。
首から下げた大きな名札と交換。

NNRの将来はどうなのであろうか。
州の観光局等とも協力して観光客を増やす努力をしており、実際に訪問者も増えている。
カリフォルニア州に電力を供給する為の石炭燃焼発電所建設の計画があり、又、現在小規模ながら中国輸出の為に銅山が再開され、
現在トラックで隣の州に運ばれてから鉄道運送されている。
コブレ側の線路を復旧し、石炭を北から、銅鉱を南から輸送する事も検討されている。

下の写真は拡大できます。