自動車での下り坂のつもりでそのままにしていると、速度がドンドン落ちていき、勝手が違う事を思い知らされた。
”弛め”迄戻し速度計を見ると10マイル程。 慌てて 1ノッチ上げる。
暫く走ると突然待避線が見えてきた。 昔は使っていたのだろうが、速度を落として通過するだけ。
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H7迄にはもう一個所待避線があり、銅鉱が稼動していた頃はかなりの通行量があったのだと偲ばされる。これがコブレ迄の本線だったのだ。
路盤、線路の状態も悪くはなく、枕木も古い物が多いようだが、雨も余り降らない地域だけに十分使える状態。
レールも波を打ったり枕木に沈んでいたりする様子も無く、昔の日本の支線より余程手入れされている。
(それとも手入れをそんなにしなくて良い?)
今回、ニュー・ヨークからコロラド迄アムトラックに乗り、地盤が固く路盤もしっかり造成できるアメリカの地質をまのあたりに感じた。
トンネルでもコンクリートを捲かずに岩盤を刳り貫いただけのもかなり見たし。
40分も運転していると、運転自体が苦痛になって来る。
「もう十分にしたから戻ってもいいかなア」 機関士は苦笑。
勾配もコンスタントになり殆ど2ノッチに入れっぱなし。
続行しているとゴツゴツした岩の固まりが見えてきて、切り通しになっている。迂回せずにダイナマイトでも使って突き進んだ、という感じだ。
「あそこは岩が弱くて振動で崩れる事がある。手前にH2.5の指標が線路脇に立っているから、そこからH3.0の指標迄、制限速度10マイル」
ノッチを戻し、ブレーキを軽く“込め”に入れる。
登り勾配の為、速度計の針は直ぐに下がり、“弛め”に戻し、ほぼ10マイルの速度で入る事が出来た。
砕けた岩の破片が路盤迄来ている。
感覚としては 2,30mの切り通しを通り過ぎ、指標を確認してノッチを上げ、速度18マイルに戻す。
暫く走ると「もう直ぐH7。そこで終り」
やがて右側で良く見えないが白くペンキを塗られた高めの勾配指標の様な物が一瞬目に入った。
水平の横木には確かにH7とある。
「あの少し先の左側にもう一つ指標があるからそこに前を合わせて停止できるか?」
ここぞ、と思われた所でブレーキ弁を“込め”に回したのだが、圧力計針の動きが遅く、一寸の間待っているとグググーッと効き出し、
“弛め”に戻したが、ゆっくりと停止してしまった。 指標はまだ20m程先。
「もう一回やってみるかい?」
意地で 「やります」
ノッチを進め、今回は1m程手前で止まる事が出来た。 ブレーキは矢張り難しい。
「これで戻るんだが、どうするか憶えているね」
「前後進レヴァー」
「はい、出発」
レヴァーを反対側に回し、ブレーキ・レヴァーを戻し、スロットル・レヴァーを1ノッチ進めようとするが、又ひっかかる。嫌なクセがあるものだ。
今度は右腕が前に出るので姿勢は楽だが見通しは悪い。
勿論ディーゼルの長フードは蒸機機関車のボイラー程背が高くなく、上方の見えはマシ。
先程の徐行個所のかなり手前で、妻の為に席を失って立ち通しの助士君がドアの外に出て行く。
後程写真でチェックしたところ、2m程先のデッキ上で進行方向の確認をしている姿が写っていた。
復路は緩い下りの続きが多く、ノッチを頻繁に1段、2段の間を上下させブレーキも多用していたが、
ノッチを下げた瞬間ポンと一瞬エンジン音が切れ、ディーゼルとしては酷い黒煙が煙突からモウモウと静止給炭の蒸機並みに。
今迄は短フード前位で走行していたので気が付かず、これか有名なアルコの煙だな、と納得ができた。
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ターボ付きの場合、スロットルを上下させた直後に吸気が遅れ、空気の混合率が低くなり不完全燃焼した際の黒煙が出る。
古い自動車で急にアクセルを踏んだり離したりするとガソリン臭くなるのと同じ。
アルコの場合エンジンが改良されても大して良くならなかった。
兎に角運転している自分が恥ずかしくなる程の煙。 ノッチ下げの時が酷いので、成るべくスロットル・レヴァーを動かさずに転がす感じで戻った。
帰りは踏切での操作も問題無し。 気分も結構良くなり、機関士気分。 駅に入る最初のポイントが見えて来ると、
「あのポイントの手前に限界表示がある。その手前で停車する」
最後の黒煙を出し、かなり良い位置で停止が出来た。
機関士は懐中時計を出して時刻を記入 「ところで後退を始めているよ」
気が付くとゆっくりとバックを始めていた。瞬間何が起きているのか判らなかったが、ブレーキ弁は“弛め”のまま。
あわてて”込め”位置から”保ち”に。
「停止する時には停止位置に入れて置かないと。 まあ全体的に悪くは無い」
最後のお小言だったが、滅茶苦茶な運転をする人もいるとの事。
運転席を代わり、機関士が構内迄転がして、駅前で下車。
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駅を出発してから戻る迄、正味2時間。 プラットフォームには機関車が外された列車が停泊していたが、無蓋車は朝と同じ側になっていた。
売店に戻ると、私がディーゼル機関車をイースト・エリー、アドヴァース間で往復運転をしたという本日の日付入り証書が待っていた。
首から下げた大きな名札と交換。
NNRの将来はどうなのであろうか。
州の観光局等とも協力して観光客を増やす努力をしており、実際に訪問者も増えている。
カリフォルニア州に電力を供給する為の石炭燃焼発電所建設の計画があり、又、現在小規模ながら中国輸出の為に銅山が再開され、
現在トラックで隣の州に運ばれてから鉄道運送されている。
コブレ側の線路を復旧し、石炭を北から、銅鉱を南から輸送する事も検討されている。